2話 森の間引き作戦
ひと気のなくなる真夜中、ある屋敷の一室でいら立ちを隠せない声が響いていた。
「ああもう、向こうはまだ音を上げないんですの!?」
弛辺りするように部下へ問いかけるのはクローネ・カール子爵令嬢だ。
機嫌が悪い彼女に対し、部下たちは平伏して怯えている。
「は、はい……予想以上に精神的にタフなようで」
冷や汗を流しながら報告する部下に対してクローネは怒りを宿した目線を向ける。
「この、役立たず! いつもなら引きこもるか軍を止めるか、わたくしが手を下すまでもなく決着がついていますのに!」
クローネの言う通り、これまで標的となった相手は執拗な攻撃に耐え切れず自ら逃げ出していた。
だが、ルーシィに限ってはどれだけ嫌がらせしようともしっかり軍務を続けている。
気丈に振る舞うその姿がクローネの怒りに更なる燃料を注いでいた。
「もう我慢できませんわ、直接手を下しなさい!」
「そ、それは! あまりにも危険です!」
その言葉に絶対服従のはずの部下たちも困惑する。
今までの嫌がらせは事故などと言い逃れできるものだったが、実際に攻撃するとなると話は違う。
何もクローネの個人的な妬みで自分の手を汚したいわけではないのだ。
「ふん、情けないですわね。ならフィンレイを討ち取れば金貨五枚与えますわ。これだけあれば軍を辞めてもやっていけるでしょう?」
ニヤッと笑うクローネに対して部下たちの表情が変わっていく。
成功させれば危険な軍を辞めてしばらく安全な町で暮らせる。暗殺の報酬としては十分の条件だった。
◆ ◆
数日後、ルーシィの部隊はクラーズラントの東にある森まで来ていた。
この辺りにモンスターが集結中という報告があり、先手を打って攻撃する。
どうせ集まり終えれば都市に攻めてくるのだからその前に殲滅してしまおうという考えだ。
「少し森が深いですね。列を組んで移動するのは無理そうです」
先に偵察に出ていた家臣の一人から報告が上げられた。
それによると、細い道がいくつかあるだけで大部隊が進めるような場所はないという。
「このまま進むのは厳しそうですね。また、森の中での群れとの戦闘は論外みたいです」
俺の言葉にルーシィも頷いた。
事前の調査で、モンスターの数は八百ほどだと聞いている。
こちらは合わせて十部隊で千二百。総指揮官は三百の兵を率いる伯爵だった。
「二、三個の部隊で敵を挑発。森の外まで引きずり出せば……伯爵閣下に進言してみましょう」
ルーシィは敵を森から引きずり出し、待ち構えていた部隊で攻撃を仕掛けるつもりらしい。
彼女が総指揮官の元に伝令を出してから数分、全部隊に作戦が伝えられた。
内容は三部隊で敵を森の外にまで引きずり出してそれから全部隊で殲滅。ルーシィの策が採用されたようだ。
森に入る部隊には作戦を進言したルーシィの部隊も含まれている。
他の二部隊の指揮官は平民出身なので、突入部隊の実質的な指揮はルーシィがすることになった。
たとえ同じ階級の指揮官でも、貴族の方が上位とされるのが昔からの習わしらしい。
「両隣の部隊に連携を取れる距離に留まるよう要請してください。森の中は行動が制限されますから」
協同部隊に伝令を出すと、いよいよ進軍を始める。
「ルーシィ様、足元に気を付けてください」
「ええ、ありがとう。敵はまだ見えませんか?」
馬を降りたルーシィが重臣のオヤジを従えながら進む。
森に入ってから十分、俺たちは二つの部隊と連携しつつ行動していた。
「まだ見えないようです。事前の情報ではそろそろなのですが……」
重臣のオヤジが汗をぬぐいながら言うと、ちょうど前方から兵が飛んできた。
「報告! 部隊前方で多数の足音がします!」
「来ましたか、友軍部隊にも連絡。我々は敵に一撃を与えた後、反転して後退します!」
ルーシィの号令と共に三つの部隊が動き出す。
まず、ルーシィの部隊が前に出てモンスターの群れに攻撃を仕掛けた。
敵は突然の攻撃に多数の被害を出すが、すぐに怒りをむき出しにして襲い掛かってくる。
「後退! 慌てず足並みを揃えて後退します!」
ここまで何度も実戦を経験してきた兵士たちは落ち着いて敵の追撃に対処した。
だが、それでも後退戦闘は被害が拡大する危険が大きい。
そこで、ある程度後退すると待機していた残りの二部隊がモンスターの群れに攻撃を仕掛けた。
その間にルーシィの部隊は後退し、反転して敵を待ち構える。その頃には他の二部隊が後退を始めていた。
「相互援護しながらの撤退戦、即席の連携にしては上手くいっているようですね」
「はい、被害は想定より少なく済んでいます」
俺は確認した被害状況をルーシィに報告した。
彼女の考えた撤退法は上手く機能し、味方の損害を上手く抑えていた。
兵士たちも戦っていく内に撤退戦に慣れ始めたのか、徐々に被害自体が少なくなっていく。
「ただ、あまり時間をかけると今度は疲労で被害が拡大します。なるべく早く撤退しないと……」
まだ若い家臣の一人が焦るように言ったが、ルーシィは落ち着いた表情で答える。
「大丈夫、もうすぐ森を出ます。そうすれば後は本隊と合流して一気に殲滅できますから」
どうやらいい意味で自分の指揮に自信がついてきたようだな。
指揮官がどっしりしていると兵士も安心して戦える。
三分もすると森の出口が見え、向こう側には隊列を組んで並んでいる本隊が見えた。
「次の後退で一気に離脱します!」
友軍部隊が後退したのを見計らい、ルーシィの部隊も一気に森から離脱した。
少し遅れて森から出てきたモンスターを迎えるのは、ガッチリと陣形を組んだ本隊。
集まることもできないままバラバラに突撃して来たモンスターたちを正面から迎え撃つ。
モンスターと友軍はぶつかり合った一瞬こそ拮抗したものの、すぐにこちらが有利になる。
「よし、このまま押しつぶせますな」
家臣のオヤジの言葉に俺も同意した。
戦局の優位は崩れない。誰もがそう思って油断していたその時、戦場の中から一本の矢が放たれる。
本来モンスターに向けられるべきそれは一直線にルーシィの元へ飛んでいき、彼女の心臓を貫かんと狙っていた。
「なにっ、このタイミングで仕掛けて来るか!」
だが、元々警戒していた俺が咄嗟にルーシィを突き飛ばしたことで矢の狙いが逸れる。
(以前からルーシィを攻撃していた相手か? まさか狙撃してくるとはな!)
身体を貫くはずだった矢が彼女の腕を切り裂くに留まる。
そして、そのまま進んでいった矢はゴブリンの脳天に突き刺さり、絶命させた。
モンスターの頭蓋骨を貫く威力だ。人間に当たっても同じ結果になるだろう。
「きゃう! ぐぅ……」
「ルーシィ様!? 皆の者、お守りしろ!」
重臣のオヤジの言葉で家臣たちがルーシィを囲むように守った。
その後、腕に傷を負った彼女は大急ぎで家臣に担ぎ出されていく。
本隊の後方にある救護所で処置を行うのだろう。
だが、俺はそれには同行せず、ルーシィを傷付けた矢の回収に向かった。
周りをモンスターと人間の戦闘に囲まれる中、ようやく矢で頭を貫かれたゴブリンを発見する。
「これだ、これを調べれば必ず証拠が出てくるはず」
俺は慎重に矢をゴブリンから引き抜くと、そのまま布でくるんで大切持っておく。
そうこうしている内にモンスター共は全滅し、人間側の勝利が確定した。
「まあ、俺の戦いはこれからなんだけどな」
本隊が歓喜に沸く中、俺は大事に矢を持ちつつルーシィの元に急ぐ。
彼女は救護所のベッドの上で包帯を巻かれ、気分が悪そうにしていた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、何とか。助けてくれてありがとうございます」
「気にしないでください。当たり前のことをしたまでですから」
どうやら大事には至らなかったようで何よりだ。
「安静にしておいてください。犯人についてはこちらで調べます」
そう言うとルーシィは心配するような表情で俺を見た。
「ユウシン、無茶はしないでくださいね」
「ええ、分かっています。フィンレイ様はそのまま体を休めていてください」
俺は証拠の矢を手に、犯人を追い詰めるため行動を開始した。
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